"MIH. 50 Years of a Monumental Showcase"展

国際時計博物館(Musée International d’Horlogerie、以下MIH)が現在の場所に移転してから50周年を記念する祝賀行事が本格化している。"MIH. 50 Years of a Monumental Showcase (国際時計博物館。記念碑的な展示場の50年) "と題されたエキシビションでは、この記念行事の歴史的な部分を辿り、記念出版物によって国際時計博物館をさらに知ることができる。第二展示場では、新しい収蔵品が紹介される。

"MIH. 50 Years of a Monumental Showcase"展
50年前、国際時計博物館(MIH)は、その卓越したコレクションを展示するための特徴的な展示場を開設しました。展示場は地下を中心にコンクリートによって建設され、時代に先駆けた装飾が施された。人工的な装飾が一切ないこのプロジェクトは、緑豊かな公園の周囲に自然と溶け込み、来館者を時間計測の世界に没入させる。1972年に開始されたこのプロジェクトは、時計産業とラ・ショー・ド・フォンの街に影響を及ぼした経済不況にもかかわらず、粘り強く続けられた。そして19741019日、現在のミュージアムが一般公開された。この節目を記念して、「50 Years of a Monumental Showcase 」展では、時計製造、博物館学、建築が融合した時代を振り返る。エキシビションは5つのセクションで構成される。

活気:1960年代末、時計産業は一連の変化を経験した。大量生産、新技術の登場、自由貿易、世界経済の変動は、それまでの市場や生産様式を揺るがした。これらの変化は、あらゆる慣習の再評価をもたらした。この極めて重要な時期に、時計製造業者は技術革新に着手し、未来の時計を創造し、思い描いた。この時期の活気は、さまざまな成功の度合いがあれ、次々と革新的な技術を生み出した。クォーツ、プラスチック、さらにはデジタルといった新しい技術が加わり、現在の時計製造の審美的、技術的基盤が築かれた。 

記念碑的な展示場 : 国際時計博物館(MIH)は、ラ・ショー・ド・フォンを拠点とする建築家ジョルジュ・J・ハーフェリ(Georges-J. Haefeli ,1934-2010)とチューリッヒ出身のピエール・ツェリー(Pierre Zoelly, 1923-2003)の監修のもと、1972年から1974年にかけて建設された。1967年、ラ・ショー・ド・フォンにコレクションの重要性を示す新しい時計博物館を建設する目的で設立されたモーリス・ファーヴル財団(Fondation Maurice Favre)の支援のもと、市、州、国、時計業界が共同で資金を出資した。建築家たちは、この記念碑的な展示場を構想することで、プログラムの要求に対して知的な発想で応え、対照的なコンセプトをうまく調和させ、規模における課題に対処した。建築物理学の専門家、特に土木技師のピエール・ベュレ(Pierre Beurret, 1922-2016)や建設会社のPaciとのコラボレーションは、プロジェクトの成功に不可欠であった。国際時計博物館は完成と同時に、メディアから賞賛を浴び、1977年にはスイスコンクリート建築賞の第1回ベトン賞(the Prix Béto)を受賞した。さらに、1978年には「Prix Cembureau」を受賞し、「ヨーロッパ・ミュージアム・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。アーカイブと現在の映像による没入型プロジェクションが、この博物館の建設にまつわる壮大な物語を再現し、ブルータリスト*にインスパイアされた記念碑に新たな解釈を与える。アテネのアクロポリス博物館を手がけたニューヨーク在住のスイス人建築家、ベルナール・シューミ(Bernard Tschumi)をはじめとする著名な建築家たちの証言が、この建物の建築上の特徴を浮き彫りにし、50年前の落成式にまつわる未発表の逸話も明かされる。
*ブルータリズム(Brutalism):1950年代に見られる建築様式で、素材の表現や建築構造の均質性を重視し、大胆なコンクリートの構造体や幾何学的な形状を特徴とする。

完全な仕事:美術館の内部レイアウトは、チームBTG、ピエール・バタヤール(Pierre Bataillard)、セルジュ・チェルダイン(Serge Tcherdyne) 、マリオ・ガロッピーニ(Mario Gallopini)からなるグループに任された。  彼らの役割は、展示ケースなどの展示要素のデザインだけでなく、雰囲気と来場者の快適性さを高めるための調度品の選択など、あらゆる技術的側面の創造と調和におよんだ。建物の一体構造とは対照的に、展示用ケースの透明性と軽さには特段注意が払われた。この空間では、国際時計博物館の家具はそれ自体が展示品となり、コレクションを構成するアートワークと同じように展示されている。

想像力: 1968 年、モーリス ファーブル財団はヌーシャテル州に居住または勤務する建築家を対象に公開コンペティションを開催した。 彼らに加えて、10人のスイス人建築家も応募した。 審査員はスイス人建築家、政治家、実業家、地元の文化関係者で構成され、28のプロジェクトが審査された。 その結果、優れた9つのプロジェクトが選ばれた。建築家ジョルジュ・J・ハーフェリ(Georges-J. Haefeli )とピエール・ツェリー(Pierre Zoelly)による「Gnomon」が最優秀賞を受賞した。 1968 年のコンペティションで最終選考に残ったプロジェクトの模型が今回初めて再展示される。

再発明:エキシビションの最後には、来館者にレゴを使って博物館の将来の再開発を想像してもらう。博物館が大規模な改修の時期を迎えるなか、「50 Years of a Monumental Showcase 」展では、今後数十年にわたりミュージアムパークを活性化させる取り組みを予感させる。

国際時計博物館(MIH)建築ガイド
スイス芸術歴史協会 (Société d'histoire de l'art en Suisse: SHAS) は、建築文化振興のため長年にわたる全国的な活動が認められ、「ラ・ショー・ド・フォンの国際時計博物館」と題した、この特別な博物館のガイド本を出版した。

英語、フランス語、ドイツ語で出版され、建築の世界有数の専門家の一人、ナジャ・マイヤード(Nadja Maillard)が執筆した本書は、博物館を訪れる人々や文化遺産に興味のある人に貴重な情報を提供する。 57 点の図版が掲載されており、そのほとんどが未発表のもので、現在の写真、古い景観、記録文書、断面図、平面図などが含まれる。

新しい展示品の取得 
この 1 年間で、MIHは280 点の作品を購入、または寄贈され、MIH コレクションの歴史の中で最も重要な年として歴史に名を刻むことになるだろう。 20人ほどの寄贈者の中で、最近亡くなった2人の傑出した人物はその寛大さが MIH のコレクションを大幅に充実させたことで特筆すべきだろう。

ジュネーブを拠点とする独立デザイナー、ミシェル・ヒューバー(Michel Huber, 1950-2023) は、ラ・ショード・フォンのエコール・ド・アートでジュエリーの学位を取得し、ヴェンチュラ(Ventura)・ブランドの「スクエア」で時計業界にその名を刻んだ。この作品は彼のバランスのとれたプロポーションへのこだわりを表現している。彼のコレクションには約50個の時計があるが、その特徴は従来の時計製造の限界を超えた、極めて繊細な技術と厳格な規律を融合させた流麗さにある。

エドゥアルド・シュトライト(Eduard Streit, 1939-2023) がモーリス・ファーヴル財団を通じて遺贈したコレクションは、その卓越した技術力とそのモデルを構成する職人技が特徴である。 エドゥアルド・シュトライト(Eduard Streit)が生涯かけて厳選した180 個の時計は、そのひとつひとつが特別な研究や技術の粋を集結させたものであり、18 世紀から20 世紀にかけてのスイスとヨーロッパの時計製造の歴史に関する私たちの知識をさらに深めるものである。

Le Carillon第 50 号と特別号の発行
MIH と amsiMIH の年次会報誌「Carillon」が同時期に発行された。 巻頭にてスター建築家ベルナール・シューミ(Bernard Tschumi)氏は、MIHの建築とミュージアム設計のユニークさを強調している。 この象徴的な50号は16ページに拡大され、2023年に新たに収蔵された280点あまりの作品のカタログにもなる。

「Carillon」の大判特別号は、MIH の創設の柱である公的機関、モーリス・ファーブル財団、そしてMIH の友人たちの役割を、過去に遡って、また将来に向けて全ての人々に思い起こさせるものである。また、建物の改修工事が完了した暁には、MIHを代表するエキシビションに生まれ変わることができるよう、募金キャンペーンを効果的に展開している。

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国際時計博物館 Musée International d'Horlogerie (MIH)

May 09, 2024